:::
TOP
>
てんてこノート帳
>
見えないことの探求記
> year2017.9
見えないことの探求記 - 2017.9
Year :
[ 2018(no.4) ]
[ 2018(no.3) ]
[ 2018(no.2) ]
[ 2018(no.1) ]
[ 2017(no.9) ]
[ 2017(no.8) ]
[ 2017(no.7) ]
[ 2017(no.6) ]
[ 2017(no.5) ]
[ 2017(no.44) ]
[ 2017(no.43) ]
[ 2017(no.42) ]
[ 2017(no.41) ]
[ 2017(no.4) ]
[ 2017(no.40) ]
[ 2017(no.39) ]
[ 2017(no.38) ]
[ 2017(no.37) ]
[ 2017(no.36) ]
[ 2017(no.35) ]
[ 2017(no.34) ]
[ 2017(no.33) ]
[ 2017(no.32) ]
[ 2017(no.31) ]
[ 2017(no.30) ]
[ 2017(no.3) ]
[ 2017(no.29) ]
[ 2017(no.28) ]
[ 2017(no.27) ]
[ 2017(no.26) ]
[ 2017(no.25) ]
[ 2017(no.24) ]
[ 2017(no.23) ]
[ 2017(no.22) ]
[ 2017(no.21) ]
[ 2017(no.20) ]
[ 2017(no.2) ]
[ 2017(no.19) ]
[ 2017(no.18) ]
[ 2017(no.17) ]
[ 2017(no.16) ]
[ 2017(no.15) ]
[ 2017(no.14) ]
[ 2017(no.13) ]
[ 2017(no.12) ]
[ 2017(no.11) ]
[ 2017(no.1) ]
[ 2017(no.10) ]
[ 2016 ]
Series :
[ 私の話 ]
[ 記事シェア ]
[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
...
2017-06-15 01:00:00
...
苦しみを望まない
(noSeries)
復讐の念は
苦しみをうむ念です
それが生み出されるところは
痛みをやどした根です
かかえてあれば
根元が癒されきれるまで
なんども生じます……
根が癒されきれるのは
十年、二十年とかかります
癒すことも
治すことも
シンプルですが
時間は必要になります
焦らないでいい
……
復讐の念を
三毒、八毒のエネルギーは
好んでいます
八毒のエネルギー
「暴食」、「色欲」、「強欲」、
「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、
「虚飾」、「傲慢」
三毒のエネルギー
「むさぼり」「怒り、憎しみ」「あざけり」
(※↑私見、意訳です)
復讐の念を見かけるたび、
これらのエネルギーは
シンクロしようと
流れこもうとする
この八毒、三毒のエネルギーは
苦しみをもたらす
苦痛そのものでできていて
ですから、
シンクロしますと
苦しくなります
苦悩、苦しみにはいりこんでしまうなら
ふ、と、われにかえり
(われにかえる方法を
余裕のあるときに
見つけておいて)
苦しみや、復讐の念から
距離をおいてしまうことも
ひとつの手です
……
心から
こうした苦しみを望まない、ことは
大切な自助努力を深めます
自助努力(という精神エネルギー)は
他者からもたらされるものをこえて
見えないこともふくめて
深い助けをもたらします
……
三毒八毒のうち
どれかが、外面や内心にまわるなら
癒されていない根があります……
三毒八毒で苦しみたくないことや
痛みのやどる根があること
根を癒すこと、
癒されることを
きちんと、心前にすると
自然な治癒力と
自助努力のエネルギーも
深まります
時間はかかります
「癒されきれる」には
十年、二十年とかかります
ですから
焦らないでいい
苦しむことを望まない
心から、苦しみを望まない、
大切な力になります
...
2017-06-15 01:00:00
...
自分とちがう感覚から距離をおく
(noSeries)
たまに
拒否と、誤認することもありますが
自分のもちものは
自分にしか
わかることも
たかめることも
できません
こころも同じことです
すべて、
ひとそれぞれ
かんぜんに
ユニークですから
他人のかたることは
参考にはなれど
たしかめたり、思慮したりは
自前でやるしかありません
ひつようなのは
感覚や心をすなおに持ち
たしかめて、たしかめて
自前でない枝葉をそいで
根からの枝葉にもっていき
己を確しかに、と
信じることですから
自分のもちものや感覚とちがう話に
距離をとろうとすることは
一定のあいだ
もちつづけるようです
(混乱をしないため)
それは、拒否心ではないし
嫌悪や、かたくなでもありません
状態を
きもちと混濁して
誤認しないことが
大切なようです
...
2017-06-14 01:00:00
...
心の力をつけること、2
(noSeries)
風にあてなければ
強く思えるまま
なんの皮膚もつかず
思いをかさねていきます
やってみたり
あらわしてみたりすることは
風にあてることのようで
ひとつひとつが
なにか、ときがたつと
皮膚となり
目となり
対処をもたらしていきます
……
私には傲慢があり
またそれをずっと、否認しておりましたところ
やたら、やわく、よわく
育てないと、未熟なままで
未熟はくさみがつよく
傲慢なひとの成熟が
いかに美しいか
私はしっており
また、個をもって実力をやしなったかたは
ある程度のゆがみ、いびつ、傲慢をもっていて
だけど、そうしたこころを
きちんとまともに自責していて
だからこそ
美しいことを
私はしっており
傲慢を自責することは
とても嫌だったのですが
風にあてないと
成らないのですよね
生らない……
……
わりとこんな(話をする)
自分が嫌いだったんですが……
もっていて、そこにあって
きえることがない
未熟で
ゆがみが
目につくから嫌なのだけど
とりだして
おもてにだして
風にあて
育てないと、未熟なまま
臭いままだ……
...
2017-06-14 01:00:00
...
心力のたかめかた
(noSeries)
体とおなじく
心も霊体も
つかえば、
筋肉も、力もつきます
体とおなじく
それが、
心の実力、霊体の実力となります
使わなければおとろえます
心をつかう、とは
真心をあらいだして
それをもって動くだけです
心から、やりたいことを
素直にしてみる、
成してみようとしてみる、
心のおもうことを
素直に、正直に
あらわしてみる
そんなことでしょうか……
真心は
気持ちや、その都度の思いとは異なります
人ばかりにいいたくなる裏には
ひとのせいにすること
人を責めることと
おなじレベルの気持ちがあります
他人を何とかしなきゃ、という逃避です
これは他責です
怠惰なものがそこにはあります
自分から、なにかをする、
また、自分は、こうおもう
こうしたことは
自責となります
そのうえで
さまざまを「してみる」
心は、怠惰をもたない
自分からを、あらわすこと、は
自責がのしかかります
これをきちんとまともに担うため
筋トレとおなじく
地味な努めや、身をもった経験、
知ろうとしたり、
わかろうとしたりすることを
つづけることになりますが
筋トレとおなじく
地味な行動の継続で
じわじわと力がついていきます
霊体をつかう、というのも
あるようですが
これは私にはよくわかりません
...
2017-06-14 01:00:00
...
のふ
(noSeries)
歩みかた
みえない世界は混沌としており
清濁ともにあわせながれております
出逢い、
あたえられるものは
必要だから、であり
意味や、価値よりも
必要性で
ながれ逢うことになります
……
ひと
ことば、たいど、こうい、実力
実力をみること
そこから中心に
こうい、たいど、ことばを見ること
実力
これは心がともなっていれば
心力も、ともにあがっていきます
心力は心体(神性)とつながります
実力は心とつながります
ここから
こうい、→たいど、→ことばが
あらわれていきます
神とともにあるかたは
心力(神性)がひらいてあり
みずからの心力(神性)で
見えない善きものとシンクロしたり
エネルギーを流れおりたりします
そうでなくても
能(のう)がありますなら
心か霊体に
なにがしかのひらきがあります
……
みずからの心か霊体ではなく
外の因子によるもの
たとえば
他霊から流れ込みや
他者の意識化に
依存しているもの(傀儡ですね)
あらわれの
どこかに、
かざり、まがいが多いかたは
こうした心力やひらき、
能(あたわ)は使えません
傀儡をされている方の場合、
裏方に、糸を操るものがあり
おもての態度から
その糸への依存がみてとれます
自立した、こころを養う
ひとりの人間には
人として、力がやどりますが
そうした
たんなる傀儡ですと
ひとりぶんの力さえ
もつことができません……
逆に糸が切れればたてなくなるほど
裏方のものに
自力をうばわれていきます
なんらかの目的のある見えないものに
(傀儡として)うごかされている方とは
学ぶことがあるかた以外
かかわりは必要ありません
Year :
[ 2018(no.4) ]
[ 2018(no.3) ]
[ 2018(no.2) ]
[ 2018(no.1) ]
[ 2017(no.9) ]
[ 2017(no.8) ]
[ 2017(no.7) ]
[ 2017(no.6) ]
[ 2017(no.5) ]
[ 2017(no.44) ]
[ 2017(no.43) ]
[ 2017(no.42) ]
[ 2017(no.41) ]
[ 2017(no.4) ]
[ 2017(no.40) ]
[ 2017(no.39) ]
[ 2017(no.38) ]
[ 2017(no.37) ]
[ 2017(no.36) ]
[ 2017(no.35) ]
[ 2017(no.34) ]
[ 2017(no.33) ]
[ 2017(no.32) ]
[ 2017(no.31) ]
[ 2017(no.30) ]
[ 2017(no.3) ]
[ 2017(no.29) ]
[ 2017(no.28) ]
[ 2017(no.27) ]
[ 2017(no.26) ]
[ 2017(no.25) ]
[ 2017(no.24) ]
[ 2017(no.23) ]
[ 2017(no.22) ]
[ 2017(no.21) ]
[ 2017(no.20) ]
[ 2017(no.2) ]
[ 2017(no.19) ]
[ 2017(no.18) ]
[ 2017(no.17) ]
[ 2017(no.16) ]
[ 2017(no.15) ]
[ 2017(no.14) ]
[ 2017(no.13) ]
[ 2017(no.12) ]
[ 2017(no.11) ]
[ 2017(no.1) ]
[ 2017(no.10) ]
[ 2016 ]
Series :
[ 私の話 ]
[ 記事シェア ]
[ 作品とともに ]
[ 審神者 ]
[ シャーマニズム ]
[ 夜の話 ]
[ 天部 ]
[ イエス様 ]
[ 如来 ]
[ 釈迦 ]
[ 不動明王 ]
[ noSeries ]
[ エネルギーの物語 ]
[ 雑感 ]
:::
TOP
>
てんてこノート帳
>
見えないことの探求記
> year2017.9
復讐の念は
苦しみをうむ念です
それが生み出されるところは
痛みをやどした根です
かかえてあれば
根元が癒されきれるまで
なんども生じます……
根が癒されきれるのは
十年、二十年とかかります
癒すことも
治すことも
シンプルですが
時間は必要になります
焦らないでいい
……
復讐の念を
三毒、八毒のエネルギーは
好んでいます
八毒のエネルギー
「暴食」、「色欲」、「強欲」、
「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、
「虚飾」、「傲慢」
三毒のエネルギー
「むさぼり」「怒り、憎しみ」「あざけり」
(※↑私見、意訳です)
復讐の念を見かけるたび、
これらのエネルギーは
シンクロしようと
流れこもうとする
この八毒、三毒のエネルギーは
苦しみをもたらす
苦痛そのものでできていて
ですから、
シンクロしますと
苦しくなります
苦悩、苦しみにはいりこんでしまうなら
ふ、と、われにかえり
(われにかえる方法を
余裕のあるときに
見つけておいて)
苦しみや、復讐の念から
距離をおいてしまうことも
ひとつの手です
……
心から
こうした苦しみを望まない、ことは
大切な自助努力を深めます
自助努力(という精神エネルギー)は
他者からもたらされるものをこえて
見えないこともふくめて
深い助けをもたらします
……
三毒八毒のうち
どれかが、外面や内心にまわるなら
癒されていない根があります……
三毒八毒で苦しみたくないことや
痛みのやどる根があること
根を癒すこと、
癒されることを
きちんと、心前にすると
自然な治癒力と
自助努力のエネルギーも
深まります
時間はかかります
「癒されきれる」には
十年、二十年とかかります
ですから
焦らないでいい
苦しむことを望まない
心から、苦しみを望まない、
大切な力になります