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見えないことの探求記 - 2017.12
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...
2017-07-04 02:45:35
...
ジュピュター
(noSeries)
私が思いますに
天体は
見えない存在と
リンクしているのではないでしょうか
木星、ジュピュターは
雷の神様のまんまに思えるのです
(一説では
ジュピュターはガスの塊であり
その中にはたくさんの雷や嵐で満ちているのだとか)
雷神さまは
世界各国で
さまざまな姿で絵がかれていらっしゃいます
神々はおひとりおひとりが
巨大なエネルギーをもたれてあり
「あらわれる面」により
さまざまな表出をもたれます
日本では、やはり、そうした「現れ」が
浮世絵に絵かがれる
雷神さまの像に近いようです
太鼓がお好きで
たまに踊られていたりします
...
2017-07-04 01:48:16
...
外面はあてにならない
(noSeries)
現実をいきるひとでも
外面があてにならないのは
多々あることですが
見えないものもまた
外面は、あてにはなりません
いぜん、低級なものや
高位なものの
ことなりを記しましたが
それにしたって
「こうであるものは、低級」とか
「こういうものが、高位」とか
「こうである」部分をあてにすると
きちんと、見わけることは
むずかしいかと
思います
(外からうかがえることは
「こうしたものは
そうした表出をもちやすい
傾向をもちやすい」
程度ですね……)
……
悪と、低いは
同じものではありません
悪である場合
低いとはことなり
力を持っていることもあり
力をもつものは
人間をこえていることもあり
人間が人間を相手にするよりも
外面を形成することが
たやすい
……
傍らにいるかたを
みたいとき
もっとも
あてになるのは
なにかといいますと
ひとつは
「自分の性格」です……
人間の友達もそうですが
見えないものもまた
自分が「嫌な思いをするもの」には
来ないもので
なんにせよ、神々であっても
「好きなもの」に
おとずれますから
「自分がどんな性格であるか」を
みるほうが
まわりに居る見えないものの
「すがた」も
とける……
……
ひとをみるときも
「こういひとが好きな人が
(みえないだけで)そこにいるのだ」という
視点をもちますと
傍らのかたの、姿を
思い浮かべることが
できるかもしれません
...
2017-07-02 22:25:23
...
怨みやたたり
(noSeries)
恨むことや暴力的なことが
ありがたいという話ではないので
とても微妙な話になりますが
恨み心、祟りを願う心というのがあります
それはひとえに
みずからを傷つけた
苦しめたものに
復讐を願う心のようです
ここで、ふたつにわかれまして
ひとつが、相手はなんにも悪くない、逆恨み
ひとつが、相手が悪い恨み……
相手が悪くて
悪いことされて
恨むことは
私には、悪いことには見えないのです
悪いことをするとき
ひとは、きほん、気がつかないといいます
「自分では良いこと(正当な)のつもり」なのだと
……
相手にひどくされたことを
心が苦しむのは
情のあることです
説教されるより
きらいだ、つらい、いやだ、と、
うらみつらみのまま
ぶつけられたほうが
わかることもあります
……
つくづく思うのですが
「上から目線」は
なんで出るんでしょうね
ひととはなすとき
自分が、そんなふうに
はなされても
聞き入れませんよ
気持ちのない説教なんか
聞き入れません……
……
心ないことはしない方がいいです
正しくても、善良でも
心ないことは冷酷なことばかり
心やどることばかり、つくせて
あらわせるなら
最高なんでしょう
……
神様の祟りは
根源があたたかなことがあります……
慈しみにみちた、祟り、なんて
おかしな話でしょうか……
...
2017-07-02 22:04:39
...
神様の名前と役職
(noSeries)
神様はまず名乗られません
というか、会話をされません
気がついたらそこにいて
気がついたらかえられる
わたしの感想になりますが
「よく分からない」
人知をこえられているのでしょうね
「わからない」んです
「把握しきれない巨大なところ」から
ひとに思いをかけ、心を使い
面倒をみてくださる
そんな方々におもえます
……
関わりましたかたの
正体をしつように聞くのは
失礼なときがあり
たずねたい「正体」が
そのかたの役職のばあい
よく知りもしない方に
「あなたは社長ですか?
え?役員?え?」って
聞いているようなものなんです……
ドン引きですよね
……
神様は役職(的なもの)は名乗られませんが
名前にこまりましたら
たずねれば
わりときやすく教えてくださいます
……
じつは、ここだけのはなし
「役職的な正体」よりも
「なんでいらしたのか」のほうを
たずねたほうが
自分の問題もみえたりして
ずっと、進んだりするんですよ……
...
2017-07-02 21:31:34
...
特別な自分
(noSeries)
特別な自分というのは
ここにいる
ありのままの自分であって
なにかができたり
誰かと知り合いだったりする自分、は
その根本からたちあがった、
層のようなものだと思うのです
「誰もが同じ」ということはあり得ませんし
能力や思力にさえも差はあります
たちあがる層をまえに
差をかんじるのは
根本にある「ありのまま」は
つねに、いつも、ユニークであり
たったひとりであり
孤独であるけど、特別であることを
失っているのかもしれません
理解がたやすく行き交えると
忘れがちかもしれませんが
ひとりひとり
誰も同じひとはおりませんから
理解されることは、じつは
まれなことだと思うのです
根本的には
理解されてないこと(されずらいこと)
それを、自分も、また
(うわべはともかく
根本的には)ひとを理解しずらいこと
関係することに
理解は、あんまり
必要ないこと……(たやすくはない)
それよりも、むしろ
きちんと、つたえること
たずねることや
(思い込みでない)思いやりや
心遣いのほうが
必要なこと
ひとりひとり
誰でもないユニークな特別なひとりであることを、中心において感じてみれば
(社会ではなく、この世に)
誰でもない「ひとり」の人間として
ありのままの生が
必要とされていることや
「ほかのもの」と
かかわるなら
距離をもつことや、
わかりあおうとすること
伝えることと、表現することと
受けとることと、聞くことが
大切だったり、
感じるかもしれません
……
ありのままは、本音は
表現するかどうかも含めて本音ですから
本音から「そんなこといいたくない」ならば
いわなくていいのです
それが本音のままに(ありのままに)生きることですから
……
……おなじく
みえないものたちもまた
「ユニーク」なたったひとりですから
「誰かのための命」はありません
(よく誤解されていますが)
傍らに他人としてかかわれない
(利己我欲への利用から
距離をおけない無礼さや
自分のための命と誤解することや
自立していなさへの責任転嫁
すべてひっくるめて
よりかかり(依存)ですね……)なら、
他人にしてはならないことをかさね
踏みにじってしまいますから
自分のためのに
いてくれる命などないのですから
それをわきまえると
もののみえかたや、つきあい方や
世界が変わるかもしれません
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